人生全てネタ

普通を普通にできない人が、普通について納得できるよう考えていくブログ。当たり前ができない人の、生活のための努力と諦め。もうすぐ三十路になります。

養命酒始めるぞ

とにかく末端冷え性半端ない折田げこです。真夏でも、体は暑いのに手足が汗で冷えるなんてザラです。頭だけカーって熱くなって、風邪っぽく頭がふわふわしたりするのですが、熱を測っても異常なし、そして手足が冷たいとかもよくあります。困りますね。

養命酒チャイの作り方だけ見たい人は一番下までスクロールしてね。

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最高にインスタ映えしないやつ

 

そんなわけで、なんとか改善できないかと養命酒を飲んでみることにしました。が、続けるには乗り越えなければならない困難がたくさん。

 

①そもそも酒に弱い

私は名前の通り下戸です。全く無理ってわけではないですが、居酒屋でも最初の一杯で精一杯だし、飲んで酔っ払っても疲れるだけでなーんにも楽しくない。人生かなり損してますね。飲み会ではもっぱらハンドルキーパー(笑)です。

養命酒はアルコール14パー。めっちゃ度数高いぞ。一回の服用が20ミリリットルなので、日本酒のおちょこ一杯をイッキするようなもんです。一回服用するとしばらくは頭動きません。

 

②一日3回朝昼晩服用は現実的ではない

養命酒って、要するに酒なので、朝からそんなもん飲んだら運転できないし、仕事にならない。酒飲んで出勤とかアル中かよ。現代人の生活には全く合いませんね。

この頃、高齢者の車の運転について色々言われてますが、そういう仕事してない方々に健康のためを兼ねて服用してもらって、飲酒運転だから乗ったらダメ!ってしたら効果あるんじゃないかとか思いますね。いや、認知症で物忘れ激しいとか、そもそも高齢者の若かりし時代は飲酒運転にはそこまで厳しくなかったから、意味ないかもっと大変な事故やりそうですね。

 

③まずい

美味しくないです。薬と思って頑張ってぐいっとやるしかない。ちなみに、ラミクタール味わうよりはマシです。が、錠剤うまく飲めれば味わわずに済むラミクタールと違って、養命酒は味わうことは避けては通れない。さて、どうするか。

 

④薬との飲み合わせってどうなの

大体の精神系の薬って、酒飲むなみたいな注意書きあるよね。そこら辺どうなんだろう…ぶっちゃけほんの少しなら影響ないんじゃね?って思ってます。料理でも酒とかみりんとかワインとか使うし。

ただ、医者から特に禁止されている人は飲まないようにすべきです

 

なんとか続けられる方法を模索してみた

インターネットで探してみると、そんな養命酒を飲みやすくする方法がいくつか出てきました。その中でよく見かけるのが、養命酒牛乳割りカルーアみたいになるっぽい。

しかし、私の味覚センスと長年の勘が、それは絶対後悔すると警鐘を鳴らしたので、試してません。

次にやってみたのは、紅茶に混ぜるという方法。ストレートでも、ミルクティーでも、生薬の香りが加わって、それが意外とうまかった。しかし、温かい飲み物にぶち込むので、アルコール!!って感じがきつい。試行錯誤してみました。

 

結論:チャイ風に仕上げるのが個人的に最強

私は紅茶が大好きで、特にこの季節はミルクティーなんかをわざわざ鍋で作ったりします。スパイス加えてチャイっぽくすることも多々。そのスパイスとして、養命酒をぶち込む。これが大当たりでした。以下、レシピです。

 

  1. 鍋に市販のやっすいティーバッグ1つと水80ミリリットルくらいを入れて火にかける(弱めの中火くらい)
  2. 鍋をゆすりながら紅茶の色を煮出す。すぐに沸騰するので沸かしすぎに注意
  3. ティーバッグを取り出し、養命酒20ミリリットル加える(面倒なら取り出さなくてもいい)
  4. 牛乳100〜150ミリリットルを加える
  5. 周りに泡がふつふつ出てくるくらいで火を止め、コップに注いで召し上がる(牛乳沸騰させるとコンロ周りが大変なことになります)
  6. 補足。お好みでチャイ用にスパイス加えてもいいかも。シナモンとか。あと、甘さが足りなければ砂糖とか蜂蜜とか足してもいいかも

 

以上。これなら、アルコールも多少は飛んで、ほんのり甘く、スパイシーな感じで飲みやすくなります。養命酒感がなくなって、私個人としてはむしろうまい。正直、飲み物として人に出せるくらいおすすめ。

気になる方は試してみてね。養命酒の効果が加熱とかで薄れないかはわからないので、とりあえず続けてみて様子みます。

注意。鍋で加熱したとはいえ、アルコールが完全に飛ぶわけではないです。酒です。飲んだら絶対に運転とかしないでください。酒に弱い折田げこは、このチャイでも若干の酔いを感じました。

勝手に勧めておいてなんですが、試すのは自己責任でお願いします

 

ブログどうやって書こうかなあ

薬飲んで寝たら昼まで起きれないのに、飲まずに寝ようとしたら一向に眠れないのほんとどうにかしてほしい、そんな今日この頃。折田げこです。

 

ブログをやってみよう、と思い立ち、まあ完全に自己満足なんですが、せっかくならいろんな人の目にとまったら面白いだろうなあと考え、「ブログのアクセスを増やすには」みたいなサイトをいくつか読んだりしていました。

そこに書いてあったことを元に、見出しをつけてみたり、文字の色や大きさや太さを変えてみたりしたのですが、なんかしっくり来ない。

最初のやる気満々な感じの記事と比べると、最近のはなんかゆるい感じですね。

 

なんかね、ちゃんと整理整頓された記事に仕上げると、私の大嫌いな意識高くて胡散臭い自己啓発(笑)ブログみたいになっちゃう気がするんですよね。もちろんそういうのを必要とする人がいて、こんな自己満足垂れ流しブログなんかよりよっぽど役に立つとは思うのですが、いかんせん好き嫌いはどうしようもない。

 

かといって、完全に日記にしちゃうのもなんか違うなあ、とわがまま言ってます。ただの呟きとか感情の吐露ならインターネットに書いて公開する意味がない気がする。実際手帳に気が向いた時だけ、「今日あったこと」みたいなの書いてるし。自分が読み返して意味がある、他者に見せたときに何かしら反応のしようがあるものを書きたいなあと。

 

そんなわけで、大体はこんな調子になると思いますが、記事によっては気合入れて仕上げていこうとも思ってます。ちゃんと自分の中で整理整頓したい考えもいくつかあるし。

方言と安心感

私は元々、某雪国の出身で、関西の流れをくんだ方言を喋っていました(関西弁とはかなり程遠い)。そして現在は関東住まい。住み始めて2年経たないくらい。いわゆる「標準語」と言われるようなイントネーションが主流ですね。

そんな地域で、ポロっと地元訛りが出ると、「関西の方ですか?」と聞かれたり。今は仕事などでは大分適応してきましたが、細かい単語のアクセントの違いを指摘されることもあります。

 

子供を相手にものを教える仕事ですから、コミュニケーションはとっても大事です。相手に隔たりを感じさせないようにするには、意識して同じ言葉や同じ言い回しを使う、という事が意外に効いてきます。

やっぱり、一人だけ違う言葉を使うのは、疎外感が半端無い。相手からしても、なんかよく分からない違和感を感じると思うのです。

 

逆に地元に帰った時などは、地元の方言をガンガン使います。特に、親しい(と思われたい)相手には意識して出しています。どんな年齢層でも、これは効きます。私も地元方言ネイティブですから、言葉選びや発音まで、そこまで神経質にならなくても、気兼ねなく発言できます。

 

大学時代、どちらかというと様々な地域から学生が集まっていました。それぞれの地方の方言や訛りがあって、それぞれが違う言葉を話す。そういうところでは、変な疎外感や違和感なんかは感じずに、地元とは別の意味で気兼ねなく発言できたような気がします。

 

何が言いたいかというと、自分でもよく分からないのですが、多数が共通の言語を話す中で別の言葉を喋っていると、なかなか溶け込むのが難しいということ。不可能では無いし、別の方言を個性として押していくこともできるけれども、輪の中に入れても一定の「よそ者」感は免れない可能性が高い。

逆に、いろんな人がいた方が、違和感なくやっていけるような気がする。

郷に入っては郷に従え、なんて言葉がありますが、あらゆることにそれが言えるなあと思ったのでした。

総絞りの振袖

成人式でしたね。

私もいつぞやに成人しました。特に振袖着ることには興味がなかったので、成人式はスーツでした。お金勿体無いし。

 

私は10年以上前に母親が亡くなってて、その遺品を整理できずに置いてあったのにようやく手をつけ始めたのですが、そこから着物が色々出てきたんですね。その中に、総絞りのすんごい立派な振袖も混じっていました。

こんなもん持ってたなら成人式で着たのに!!と思った記憶があります。

親戚である、母の姉(伯母)に聞いたら、母親きょうだいの中で娘がいるのは母だけだから、「その子(私のことですね)の成人式に着せたい」ということで母の元に置いてあったのだとか。

父はこの話を知らなくて、成人当事は体調悪かったのもあり、忘れ去られたまま日の目をみることはありませんでした。

 

振袖のこと、知ってるのあなただけだったんだから、教えてくれれば良かったのに!とか思いましたが、まあ、親戚づきあいなんてそんなもんだよな、と冷めた気持ちになったのもその頃から。色々事情もあるだろうし、怒ったり責めたりするのはお門違いですよね。

 

別に振袖着ることにはこだわりはなかったけれど、亡き母の気持ちは大切にしたかったですね。

もう結婚してしまったので振袖を着る機会はなくなってしまいました。

せっかくなので、自分の結婚式で、最初で最後の振袖姿を見せたいと思います。自分で用意するので衣装代かからないのも最高ですね。

そんなどうでもいい思い出でした。成人式の振袖がらみで騒動になってて、いろんな人の思い入れを垣間見たのでつい書いてみたくなってしまった。

 

あ、あけましたおめでとうございます。

絶対にやりたくなかった結婚式をすることにした理由

折田げこはどちらかというと最近結婚したのですが、

結婚式なんて過去の遺物、金の無駄、ストレスで病気になって死ぬ

と思っていました。そんなことに無駄金使うくらいなら堅実な生活に役立てたほうが絶対にいい。呼べる友達いないし

なにがバージンロードだ、バージンでもないくせに

初めての共同作業?お前ら毎晩ry

ともかく、結婚式など絶対にやるものかと、ただの拒否というよりかむしろ拒絶、憎悪に近いものがあったわけです。そんな私が、今度、結婚式を挙げることになりました。気が変わってやりたくなったからではないです。その必要があると判断したからです。

 

法的な結婚に式なんかいらない

今、この国では「結婚」というものが制度化されています。つまり、「結婚」する手続きをすると、同棲していた時には関係なかった法律がいろいろと関わってきます。そして、これをしておくと、税金とか年金とか健康保険とかもろもろで優遇措置が受けられる

どうせ二人でずっとやってくなら、このメリットを受けない手はありません。そして、「結婚」する手続きは、役所で書類を出せばすぐできます。しかも、住民票とかと違って、24時間いつでも受け付けてくれます。仕事忙しいから日中役所に行けない!って人も安心ですね。今すぐにでも結婚できます。

婚姻届さえ出してしまえば二人は夫婦。保険やら細かい手続きはあれど、日本という国で認められたメリットは受けられるようになる。手続きにはお金もかからないし、式とかの儀式を要求されることもない。このことは知ってました。だから、結婚式とかしなくてもいいや。そんなことを考えてました。ありがたいことに、配偶者も、あまりそういうことをするのは好きではないからできるだけやりたくない、と賛成してくれていました。

 

人間はなぜ「結婚」するのか

おそらく、「法的な」結婚制度が確立する遥か前から、人間は1組の男女を「結婚」させてひとくくりにしてきました。「結婚」すれば、ただのお付き合いと違って色々な制約が課される。今みたいな優遇制度もない中、なんでわざわざそんな縛りプレイをしてたんでしょうね。仕事の役割分担したり、子供作ってそだてるのだって、別に結婚しなくてもできる。ただの同棲じゃだめな何かがあったんでしょうね。

じゃあ「同棲」と「結婚」、何が違うか。それは、つがいとしてこれから生きていくことを周りに表明し、承認を得ているかどうかなのだと思います。結婚の根幹は、他者による承認でできていると言えます。

 

承認を得るべき相手

「結婚」の根源的なところに想いを馳せたところで、改めて自分たちについて振り返ってみました。とりあえず役所での手続きはした。あとは、社会的な意味で夫婦となるには、他者に承認してもらう必要がある。

そして、その他者とは誰か?ということについて考えたとき、私たちの場合はまあやっぱりまずは両親ですよね、ってことになったわけです。幸い、私も配偶者も、それぞれの親とはそれなりに良い関係性が作れていますし、今後も切れない縁でやっていく関係だと思っていますから、逆に言えばここの承認が得られなければ、社会的な意味での結婚は成り立たない。

 

どの社会に属し、どの文化圏で生きるのか

そんなわけで、入籍する前に何度かお互いの親に挨拶に行ったりして、結婚についての同意を得て、無事手続きを完了するまでにいたったわけです。

そんな中で、配偶者側から、「式はどうするの?」みたいなことを言われました。

現在住んでいるのは地元からかなり離れていますし、正直やりたくないので、表立っては拒否しないまでも、適当にうやむやにしてしまおう、と配偶者と話していました。

しかし、一つ前のトピックに立ち返って考えた時、

  • 結婚には他者による承認が必要
  • 他者とは、自分たちが今後付き合い、大切にしていきたい方々
  • 「承認」とは、自分たちの結婚に納得してもらうこと
  • 私たちの結婚を「承認」する上で、結婚式という儀式はやるべきだと考えている

というところに思い至り、自分たちの好き嫌いで判断していいことじゃないなと。今後生きていく上で、そこに属していたいなら、可能な限りその社会の文化は尊重していかねばならん。

 

結婚式の意義

正直、私自身は最初に述べた通り、必要性がよく分からないしそんな金もないからやりたくないです。しかし、人は社会の中で生きている。その社会が結婚式をやるべし、としているのならば、やはりそうするべきなのでしょう。しょうがない。

式をやってほしいって言ってた時の感じ、なんかすごく切実そうだったんですよね。あー、これはうやむやにできないぞと

これから準備してやっていきますが、納得の上で承認してもらうのが最大の目的ですね。

 

まとめ

  • 結婚式やりたくない
  • 文化や誰の考えを尊重するかによってはやらざるをえない
  • やってほしい人がいるからやる、それで今後うまくいくならまあがんばる

こんな感じでしょうか。

地元に帰省して色々準備をしているので、意識低い様子もまた書こうと思います。

ヤツガシラとかいう神々が与えし芋

 眼鏡の耳にかけるところが臭い - 人生全てネタ

これ書いたのクリスマスなんですが、仮にも結婚してまだ3ヶ月経ってない新婚夫婦なのにどうなんだろうと思いながら年越しを迎えます。折田げこです。

私の家庭教師の教え子に農家さんがいらっしゃるのですが、時々農作物を分けてくれます。夏場にはトマトやキュウリなど、それはそれは立派で食べるのがもったいないくらいだったりで、「食べ物を作る」って尊いなあ、などと思ったものです。

さて、師走に入り、その農家さんが珍しいものを分けてくれました。

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ヤツガシラ、漢字では八頭。里芋の品種らしい。

 

八つ頭 八頭 やつがしら (里芋):旬の野菜百科

本来はこんな感じで、いくつかの芋がぽこぽこと繋がっているような見た目をしています。里芋の仲間で、関東圏では縁起物としてお正月に食べるそうです。

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煮てみた


普段里芋なんて滅多に買わないんですけど、なんというかもう驚きでしたね。口に入れた瞬間になんとも言えない香りが広がり、ホクホクしていながらねっとりと絡みつくような食感、たまりません。とにかくうまい。「芋のおかずで飯は食えない」派だったんですが、もうこれは飯なんていらない。1週間三食ヤツガシラでも全然いける。

そんなわけで、いただいた農家さんに上に書いたようなとこを伝えたんですが、「そ、そんなに良かったですか…?」みたいな感じの反応でした。ちなみに、スーパーだと100グラム70円とかでした。いただいたやつ、一個あたり大体500円くらい。いやー、一般庶民じゃなかなか手を出せない、おいしいものを食べられて幸せですね。

 

まとめ

  • 農家さんは偉大
  • 食べ物を作るって尊い
  • ヤツガシラは神々が与えし芋

皆様、良いお年をお迎えください。

眼鏡の耳にかけるところが臭い

ポカリと飲むとげろまずのラミクタール

ラミクタールをポカリで飲むことめちゃくちゃマズイ - 人生全てネタ

が増えました。折田げこです。

 

いい加減眼鏡が汚くなったので石鹸で洗おうと思ったわけです。
加齢臭は耳の裏から、みたいな話はよく聞きますが、まだ20代だし大丈夫だろう、ちゃんと毎日洗ってるし、と思って気にしてませんでした。

が、耳にかけるとこがめちゃくちゃ臭くなっている

これはショックですね。しばらく石鹸の泡につけといたんですが、完全には取れない。こういうのどうすればいいですかね。

まあ、多分周りに迷惑かけるレベルの臭いではないのでこれから改善に努めます。いやー、精神的ダメージでかいね。

 

私には、とても優秀な弟がいるのですが、超音波洗浄機を勧められました。眼鏡屋とかに置いてあるやつね。まじめに購入を検討しています。いっそ、何らかの方法で超音波出せないかな、とか思います。

 

まとめ

  • まだ20代だからといって安心できない
  • 眼鏡かけてる人は一度確認してみるべし